100% Gear of Life 003 Backpacking Light Titanium Esbit Wing Stove

003

100% Gear of Life
003 Backpacking Light Titanium Esbit Wing Stove

「足るを知る。」
ウルトラライトハイキングにおける重要なキーワードだ。
その教えに沿うのであれば、本来、固形燃料用のストーブなどというものは、アルミの板を適当にカットし、折り曲げたもので事足りる。しかし、その一方、野外生活において火をおこすという行為は、一つの儀式である。

儀式には、美しい道具と美しい所作が必要不可欠だ。幕営地に着き、幕を張り、寝床を準備する。荷物を整理し、一枚上着を羽織る。一連の作業が済み、大き目のマグカップにまとめて収納した湯沸かしセットを取り出す。とにかく、一刻も早く、冷えた体に熱いコーヒーを流し込みたい。

しかし、焦りは禁物だ。三本の脚を120度づつ均等に広げ、平らな地面を探してセットし、ゆっくりと丁寧に固形燃料に火をつけ、その上にマグカップを静かに、そして確実に乗せる。
その一連の行為は、ある意味、山の神、火の神に対する礼儀ともいえる。

そんな振る舞いを自然と起こさせてくれるギアが存在する。

広告
100% Gear of Life 003 Backpacking Light Titanium Esbit Wing Stove

100% Gear of Life [002]新井真之さんの白いフリーカップ

002

100% Gear of Life
002 新井真之さんの白いフリーカップ

器というものに無頓着な人生だった。
もっとも、アルミやチタンといった素材や重さ、スタッキングに対する狂的な探求心は除くけ
れど。。。

ある日、友人が稲村ケ崎で小さな器屋さんを開業し、同時にウェブショップを開設した。「器ねぇ。。。」なんて思いながら、そのサイトを見ている僕の目に一つのシンプルな白いカップが目に入った。

ウルトラライトハイキングというのは、北米のロングトレイルをスルーハイクするための実践的な方法論として生れた物であるけれど、さらに一歩進んで、それを一つの思想、哲学としてとらえた時に、僕はこの白いカップに大きな親和性を感じた。手もとに届いたそのカップは、想像以上に肉薄で、口当たりが良く、酒飲みの僕にとっては絶妙の大きさでもあった。今では焼酎のオンザロックはもちろん、お茶を飲むときもこのカップを使っている。

物の価値というものを改めて考えてみる。
当然、値段というのは一つの価値基準として存在するけれど、僕が一番大事にしたいのは、その物に対するストーリーだ。言い換えれば、その物に対して自分がどれだけ語れるかということ。なにも難しい話ではない。
例えば、僕の家を訪れた友人にこのカップでお茶を出す。
「このカップいいね。」
なんて言葉を引き出せたらしめたもの。
「これはね、新井真之さんという作家さんの作品で、山友達のMさんが稲村ケ崎でやってるお店で買ったんだ。焼酎のロックなんかにもいいし、蕎麦猪口なんかとしても使えるよ。それに、意外と安いんだ。」
と答える。実際、陶器に関して僕が語れることなんて何もない。それでもそこには、ささやかながらも僕と器の小さなストーリーが存在している。

「みんな3千円のTシャツは何枚も買うのに、3千円の食器は買ってくれないんだよね~。
食器に3千円を出してくれる人を増やしたいんだ。」
その友人が穏やかに僕に語った言葉が今でも甦ってくる。今日もまた、あの稲村ケ崎の小さなお店から、器をめぐる小さなストーリーが生まれているに違いない。

100% Gear of Life [002]新井真之さんの白いフリーカップ

2018年 成人となった君たちへ

1971年生まれの僕が二十歳だった1991年にリアルタイムで聞いていた音楽。
COOLだろ?

別にノスタルジックな自慢話じゃないよ。本当にCOOLだろ?

今、自分が二十歳だったら?って考えると、もうそこには可能性しか見当たらない。
そりゃ、僕だってあきらめたわけじゃないよ。でもさ、やっぱり若さってのには圧倒的なアドバンスがある。

最近僕は思うことがある。バブル崩壊直後のタイミングに社会に出た僕達世代は、「犠牲者」として卑屈に生きてきたんじゃないかと?時代は自分たちで作るものだよね。僕達は責任転換してきた。それが今の日本の現状なんじゃないかと。。。それでも、僕はあきらめてない。
今でも、こんな音楽をCOOLだって共有できる新成人は絶対いると思う。

時代を超えたって、COOLなものはCOOL!
そういうの大事だよね。
こんなこと言ってる僕だってマイフェイバリットバンドは、ビートルズとスミスだからねw
時代は関係ないんだよ。

一緒に盛り上げていこうぜ!別の言い方すれば、歩こう!走ろう!山に行こうぜ!って話。
そこにはCOOL!があるから!本当にあるから!
たまにはクソ先輩の話にも耳を傾けくれると嬉しいですw

2018年 成人となった君たちへ

100% Gear of Life [001]patagonia Houdini Jacket

001

100% Gear of Life
001 patagonia Houdini Jacket

ウインドシャツ、ウインドジャケットと呼ばれるウェアは、各社、各ブランドからたくさん発売されているけれど、やはり僕はこの「patagonia Houdini Jacket」が好きだ。
生地の性能、重量、着心地などを考えれば、今はより良いジャケットが存在するのは確かである。

だが、何かが違う。

実は、僕が長年着ているこの青いフーディニージャケットは、右袖が一部破れてしまっているが修理もせずに(パタゴニアのリペア対応の良さは有名だし、それ以前に、僕はこう見えて結構ミシンが得意だ)、そのまま気にせず着ている。
デニムパンツやネルシャツなど、ダメージが味となるウェアは存在する。だが、それらの多くは、天然素材による生地の物で、経年変化を楽しめるウェアに限られる。
しかし、その例外の一つと言えるのが、この「pataginia Houdini Jacket」だと僕は思っている。
思い返してみれば、かつてのアウトドアウェアやアウトドアギアには、それがたとえ化学繊維の物であっても、劣化が味となるものが数多く存在したように思う。ウェアやその素材となる生地が、より高性能になり、軽量化が進み、何より天然素材より安価になってしまった大量生産、大量消費の世界で、化学繊維でその味を楽しめるものは少なくなってしまった。
ウェアに限らず、経年変化や劣化や故障といったものは、よく言えばそのギアと自分との歴史に他ならない。新しいものに買い替えることは簡単(懐具合は別にして)だけれども、物をリセットしてしまえば、その歴史も一緒にリセットしてしまうことになる。
どうしても無理な場合は確かに存在するけれども、僕はその歴史を出来るだけ長く刻み楽しみたいと思う。

まだシャツ一枚では肌寒い季節に、あるいはレインウェアを着こむほどではない霧雨の中、息を切らしてハイクアップした頂上に立ち、右袖の破れ方がいかしてるウインドシャツで気取って写真を撮りたい。フーディニと僕との新たな歴史の1ページを記念して。

100% Gear of Life [001]patagonia Houdini Jacket

本を読んで夢を見たはなし

魔法の世紀

クリスマスイブの夜は本を読んで静かに過ごした。あくまで積極的に!

落合陽一『魔法の世紀』

とても面白くて、リッジレストに寝ころびながら一気に読んでしまった。
そして寝落ち。夢を見た。とても面白かったのですぐに夢の要点をメモした。

僕は一人テレビ(昔ながらのブラウン管のやつだ)を見ていた。
映像の中には、同じように一人でテレビを見ている女性がいた。
華奢な体で線が細く、黒いストレートロングヘアの女性だ。
よく見ると、その女性が見ているテレビの中にテレビを見ている僕が映っていた。
僕は慌ててそばにあった古いポラロイドカメラで画面を記録しようと思いシャッターを押した。
慌てて連写したのがいけなかったのか(本来ポラロイドカメラで連写など出来ないが、そこは夢なので)、ポラロイドカメラの内部にあったであろうバネのようなものが弾けてカメラが壊れてしまった。
壊れたカメラの破片から僕のiPhoneが出てきた。
何故か僕は安心した。
案の定、iPhoneの中に先ほど写した写真がしっかり保存されていた。
僕はiPhoneから写真をはがした(しつこいようですが夢なので)。
はがしたポラロイド写真を見たら、画像が動き出した。
カメラが切り替わり、映像はカメラを構えて必死にシャッターを押す僕が映っていて、カメラが壊れて慌てる僕を最後に終了した。

そして目が覚めた。
ちなみに、この本と夢の内容は全く関係ありません。
とはいえ、夢とは記憶や経験の断片を再構成したものであるならば、関係なくも無いのかなって思いました。

なにはともあれ、落合陽一さんは、一部からその佇まいや発言から「トンデモ系」と思われている節がありますが、最先端を行くメディアアーティストであり、素晴らしいビジネスマンであり、そして、これが一番重要だと思うのですが、最高の教育者であると僕は思います。
こんな講義なら、さぼったり居眠りすることなんて絶対ないよな。

本を読んで夢を見たはなし

エクスポネンシャルなエクソダス

トレイルランナーにはおなじみの『BORN TO RUN』の編集を担当したNHK出版の松島さんのWIREDへの寄稿文。
これは大変興味深い考察だ。
 
だとすれば、エクスポネンシャルなテクノロジーのその先にこそ、インテンショナルなコミュニティが生まれるだろう。このいわばエクスポネンシャルなエクソダスを、ぼくらは新たなカリフォルニアンイデオロギーと名付けてもいいのかもしれない。
これは、最近僕が感覚的にたどり着いた結論を見事に言葉で表現してくれている。ような気がする。。。
僕らの日々の生活の中で感じている違和感の原因は何か?
本文の言葉を借りれば、30歩で30m進む生活と、30歩で地球を26周する生活が混在する世界に身を置いているからに違いない。
人類は愚かである(環境破壊、殺戮、戦争、差別、拝金主義など誰も望まないと口では言っていても根本的な解決策は出さないし、出せないでいる)という、前提に立てば、エクスポネンシャルな世界は全てテクノロジーに任せてしまえばいい。
理解など不要だ。
シンギュラリティーを超えたテクノロジーが人類の手による運用を離れ、自然と同等に存在する世界。
松島さんは、「新たなカリフォルニアイデオロギー」と名付けこの文を締めているけれど、僕は「東洋的な思想」がキーになると思っている。テクノロジーを理論ではなく「魔法的な結果」として受け入れられるメンタルが必要不可欠だからだ。八百万の神の一つとしてテクノロジーを受け入れる。なんてことはない。八百万の神が八百万と1に増えるだけだ。
このメンタルを東洋思想、特に日本人は、その信仰に関わらず(たとえ一神教信者であったとしても)生まれながらに持っている。そして、日本には世界的なムーブメントを起こすに足る人口があり、世界でもまれにみる(気付いている人は少ないかもしれないが)豊かな自然を有している。さらにそれらが地理的にコンパクトに収まっている。
僕が生まれ育った、そして愛している日本がその先駆けとなればと願わずにはいられない。
そう、僕が望むのは、「ニューカリフォルニアイデオロギー」ではなく、「ニュージャパンイデオロギー」だ。その先にあるのは、誰かを誰かが出し抜いて30歩で地球を26周してしまうような世界ではなく、誰もが(本当の意味で誰もが)30歩で30mを平等に進む世界ではないだろうか?
もっとも、それが実現するころ、国民国家としての「ジャパン」がどれほどの意味を持っているかは分からないけれど。。。
エクスポネンシャルなエクソダス

秋ヶ瀬の森バイクロア7

bikelore7-02-708x1000

2017年12月2日~3日にかけて埼玉県の秋ヶ瀬公園にて開催される「秋ヶ瀬の森バイクロア7」にGreat Cossy Mountainも出展いたします。

基本的には、シクロクロスのレースイベントですが、その他のバイクスタイルはもちろん、ランナーやハイカーも楽しめるレースやコンテンツ満載の楽しいイベントです。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

秋ヶ瀬の森バイクロア7