本を読んで夢を見たはなし

魔法の世紀

クリスマスイブの夜は本を読んで静かに過ごした。あくまで積極的に!

落合陽一『魔法の世紀』

とても面白くて、リッジレストに寝ころびながら一気に読んでしまった。
そして寝落ち。夢を見た。とても面白かったのですぐに夢の要点をメモした。

僕は一人テレビ(昔ながらのブラウン管のやつだ)を見ていた。
映像の中には、同じように一人でテレビを見ている女性がいた。
華奢な体で線が細く、黒いストレートロングヘアの女性だ。
よく見ると、その女性が見ているテレビの中にテレビを見ている僕が映っていた。
僕は慌ててそばにあった古いポラロイドカメラで画面を記録しようと思いシャッターを押した。
慌てて連写したのがいけなかったのか(本来ポラロイドカメラで連写など出来ないが、そこは夢なので)、ポラロイドカメラの内部にあったであろうバネのようなものが弾けてカメラが壊れてしまった。
壊れたカメラの破片から僕のiPhoneが出てきた。
何故か僕は安心した。
案の定、iPhoneの中に先ほど写した写真がしっかり保存されていた。
僕はiPhoneから写真をはがした(しつこいようですが夢なので)。
はがしたポラロイド写真を見たら、画像が動き出した。
カメラが切り替わり、映像はカメラを構えて必死にシャッターを押す僕が映っていて、カメラが壊れて慌てる僕を最後に終了した。

そして目が覚めた。
ちなみに、この本と夢の内容は全く関係ありません。
とはいえ、夢とは記憶や経験の断片を再構成したものであるならば、関係なくも無いのかなって思いました。

なにはともあれ、落合陽一さんは、一部からその佇まいや発言から「トンデモ系」と思われている節がありますが、最先端を行くメディアアーティストであり、素晴らしいビジネスマンであり、そして、これが一番重要だと思うのですが、最高の教育者であると僕は思います。
こんな講義なら、さぼったり居眠りすることなんて絶対ないよな。

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本を読んで夢を見たはなし

エクスポネンシャルなエクソダス

トレイルランナーにはおなじみの『BORN TO RUN』の編集を担当したNHK出版の松島さんのWIREDへの寄稿文。
これは大変興味深い考察だ。
 
だとすれば、エクスポネンシャルなテクノロジーのその先にこそ、インテンショナルなコミュニティが生まれるだろう。このいわばエクスポネンシャルなエクソダスを、ぼくらは新たなカリフォルニアンイデオロギーと名付けてもいいのかもしれない。
これは、最近僕が感覚的にたどり着いた結論を見事に言葉で表現してくれている。ような気がする。。。
僕らの日々の生活の中で感じている違和感の原因は何か?
本文の言葉を借りれば、30歩で30m進む生活と、30歩で地球を26周する生活が混在する世界に身を置いているからに違いない。
人類は愚かである(環境破壊、殺戮、戦争、差別、拝金主義など誰も望まないと口では言っていても根本的な解決策は出さないし、出せないでいる)という、前提に立てば、エクスポネンシャルな世界は全てテクノロジーに任せてしまえばいい。
理解など不要だ。
シンギュラリティーを超えたテクノロジーが人類の手による運用を離れ、自然と同等に存在する世界。
松島さんは、「新たなカリフォルニアイデオロギー」と名付けこの文を締めているけれど、僕は「東洋的な思想」がキーになると思っている。テクノロジーを理論ではなく「魔法的な結果」として受け入れられるメンタルが必要不可欠だからだ。八百万の神の一つとしてテクノロジーを受け入れる。なんてことはない。八百万の神が八百万と1に増えるだけだ。
このメンタルを東洋思想、特に日本人は、その信仰に関わらず(たとえ一神教信者であったとしても)生まれながらに持っている。そして、日本には世界的なムーブメントを起こすに足る人口があり、世界でもまれにみる(気付いている人は少ないかもしれないが)豊かな自然を有している。さらにそれらが地理的にコンパクトに収まっている。
僕が生まれ育った、そして愛している日本がその先駆けとなればと願わずにはいられない。
そう、僕が望むのは、「ニューカリフォルニアイデオロギー」ではなく、「ニュージャパンイデオロギー」だ。その先にあるのは、誰かを誰かが出し抜いて30歩で地球を26周してしまうような世界ではなく、誰もが(本当の意味で誰もが)30歩で30mを平等に進む世界ではないだろうか?
もっとも、それが実現するころ、国民国家としての「ジャパン」がどれほどの意味を持っているかは分からないけれど。。。
エクスポネンシャルなエクソダス