100% Gear of Life 007 OLD TAYLORの空瓶

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100% Gear of Life
007 OLD TAYLORの空瓶

 廃棄される運命にあるモノが新しい役目をおって再び輝きだすということはよくあることだ。それは、使う側として、そして恐らくはそのモノにとっても幸せなことに違いない。
例えば、お菓子の空き缶がちょっとした裁縫箱に変身したり、なんてことない商品の空き箱がCDケースや文庫本を収めるのに最適な大きさだったり。

 この、「OLD TAYLOR」という名のバーボンの空瓶も僕にとって、そのような輝きを再び放ちだしたモノの一つだ。

 利休の茶の湯の世界に登場するような上品な一輪挿しもそれはそれで素晴らしいものだし、憧れはあるけれど、僕の部屋のような(そして多くの人にとって同じように)、石膏ボードに壁紙を張って、床は合板のフローリングといったような空間には、(仮にそれを手にしたとしても)存在が浮いてしまって、詫びも寂もあったものではないだろう。また、大きさも大事だ。200mlの瓶では安定感がないし、フルボトルでは、一輪挿しとしてバランスが悪い。やはり、このポケットにも収まる形状の375mlの「OLD TAYLOR」の空瓶が一番しっくりとくる。チープな部屋には、再利用の空瓶程度の一輪挿しの方がむしろお似合いだ。これこそが身分相応の詫び寂の世界観だと僕は思う。

 悲しみの果て、と言ったら少しオーバーだけれど、辛かったり、少し嫌なことがあると、この空瓶に一輪の花を飾って、それを眺めながら丁寧にいれたコーヒーを飲む。そうすると自然と心が落ち着いてくる。結局は、また思い出してしまってバーボンを飲み始めてしまったりするのだけれど。。。

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100% Gear of Life 007 OLD TAYLORの空瓶

100% Gear of Life 006 椎名誠『ハーケンと夏みかん』

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006 椎名誠の『ハーケンと夏みかん

「ハーケンというものを最初におしえてくれたのは沢野ひとしだった。高校1年、一六歳の時である。」

山と渓谷社から出版されている、椎名誠著『ハーケンと夏みかん』という短編集。その単行本のタイトルにもなっている『ハーケンと夏みかん』の冒頭である。この文章を初めて読んだ時、僕自身も16歳だった。

この『ハーケンと夏みかん』は、当時、高校1年生の椎名誠が、同じ高校に通う同級生で後にヘタウマの巨匠として有名になるイラストレーター・沢野ひとしとの、若々しくもほろ苦いある一日の出来事を描いたエッセイである。おおよそ「クライマー」とは言えない知識と経験しかない持ち合わせていない沢野ひとしにそそのかされて椎名誠が房総の鋸山にある石切り場跡の岩壁に挑む物語である。当然の結果として、ほんの数メートル攀じ登ったところで滑落し敗退。そのまま山を下り、途中になっていた夏みかんを拝借して食べるという物語だ。

当時、山岳部で活動していた僕は、山岳、冒険物のを本を貪るように読んでいた。
植村直巳の各書、山学同志会の小西政継を描いた『栄光の叛逆者』、あるいは、新田次郎の『孤高の人』や『栄光の岩壁』などの山岳小説を読んでは、アルプスやヒマラヤの雪山や岩壁登攀を夢想していた。
でも、同時に何処かで、自分の体力や運動能力、性格も顧みたとき、「自分には無理だろうな。」という気持ちを常に抱いていた。「俺なんてすぐに限界を感じて山なんか行かなくなるんだろうな。」という半ばあきらめの気持ちを。

そんな時、この椎名誠の『ハーケンと夏みかん』に出会った。僕の読書の対象は、過酷な自然や人間の限界に挑む姿を描くものから、「あやしい探検隊」へとシフトしていった。いい歳をしたおじさんが週末ごとに集まってアウトドアフィールドへ繰り出し、本当にくだらないことをしては、酒を飲み、とにかくよく食べ、焚火をして踊り狂う。おおよそ、「探検」とは言えないそのスタイルに、僕はなんとも言えない魅力を感じてしまった。

今、改めて思うことがある。僕がより過酷なクライミングの世界に挑んでいたとしたら?
その行く末は、2つしかない。もうとっくに山を辞めていたか、もしくは、死んでいたか。。。

あるとき、某アウトドアショップの店主(同い年の彼は、大学入学と同時に探検部に所属し、かなりヘビーな探検を実際に体験している)に、こんな話をした。「俺、実は17歳の時、山学同志会に入会の問い合わせしたことあるんだよ。あの時、本当に入会してたら、ヨーロッパアルプスやヒマラヤの観光登山のレベルでは見ることのできない本当にヤバイ景色をこの目で見れたんだろうなって思うんだよね。そう思うと、ちょっと後悔するところもあるんだよ。」と。
すると、その店主に、「入らなくて正解。入ってたら、今こうして俺たち出会って一緒に酒飲んでないし、そもそもコッシー死んでるよ。」と、笑いなながら言われた。幸か不幸か、どうやら、僕の自己分析は間違っていなかったようだ。

2018年46歳。あれからちょうど30年。冒険やチャレンジといったものとはかけ離れたスタイルであるけれど、今もなお、僕は山に登り続けている。

100% Gear of Life 006 椎名誠『ハーケンと夏みかん』

100% Gear of Life 005 THERMAREST RidgeRest

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100% Gear of Life
005 THERMAREST RidgeRest

赤いカウンターで餃子を肴に飲むサッポロビール赤星ラガー大瓶。
亀甲宮焼酎の看板を掲げた立ち飲み屋の酎ハイ。
なるとの乗った透き通ったしょうゆ味ベースの中華そば。
暑くもなく寒くもない公園で読む東野圭吾氏の小説。

期待を良い意味で裏切るような驚きは無いけれど、決して裏切られることのない安定感。

数あるハイキングギア、キャンピングギアの中で、そんな安定感を僕が一番感じるギアの筆頭がこの「THERMAREST RidgeRest」だ。
強度、重さ、温かさ、携帯性、価格など、それぞれの機能に特化したスリーピングパッドは
数多く存在する。しかし、全ての点において平均点以上の安定感を備えたスリーピングパッドは、このリッジレスト以外にない。特に複数泊以上を要するハイキングにおいて、「寝る」という行為は、「歩く」という行為と同等に大事になる。それを支えるスリーピングパッドに失敗は許されない。

砂利や尖った石の上に敷いてもびくともせず、どんなに濡れても吸水することなく、いくら使ってもヘタることなく、多少溶けたり、裂けたりしても機能が落ちない。何より、お財布に優しい。

正夢であることを期待するような素晴らしい夢を見ることは無いけれど、悪夢を見ることも決して無い。リッジレストに横たわり、バーボンでも舐めながら星空を眺める。ドキドキするようなチャレンジの連続も素晴らしいけれど、そんな「安定感」の上にも至福の時は存在する。

100% Gear of Life 005 THERMAREST RidgeRest

100% Gear of Life 004 NT Cutter Professional A

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100% Gear of Life
004 NT Cutter Professional A

誰が言ったか忘れたが、「事を起こすには、準備が9割、本番が1割だ。準備を怠るな。」という言葉を聞いたことがある。なるほど、9対1の割合が適切か否かは別にして、自分自身の実体験からも納得できる言葉だ。

物作りを初めて、同じように感じることがある。物を作るための道具だ。「道具9割、実力1割」と言ったら嘘になるけれど、良い道具は良い物を作る。これだけは間違いない。特にハサミやナイフといった刃物系の道具は、いい物であればあるほど作業がはかどり仕上がりも良くなる。

そんな僕が全幅の信頼を置いているのが、NT Cutterの「Professional A」だ。特に、30度の刃と相性が抜群である。このカッターとの出会いは、大学で建築学生だった頃からの付き合いなのでかなり昔のことだ。カッターの刃と言えば45度の物しか知らなかった僕にとってこのカッターと30度刃との出会いは、決して大げさではなく衝撃であった。毎晩深夜まで、設計室でこのカッターを使い、建築模型用の材料をどれだけ切ってきたことか。切断する対象は、スチレンボードやボール紙から、生地やナイロンテープに変わってしまったけれど、僕のこのカッターに対する信頼は今なお揺るぎないものがある。今は、僕の指の延長であるといっても大げさではないだろう。

もちろん、使いやすいカッターは他社の物含め沢山あるに違いない。でも、このステンレス製のシンプルなルックスと、しっくりと手になじむ感覚は他社の物では味わえない。

蛇足ながら、このクールなルックスとは相反する、NT Cutter社のweb1.0的なホームページを見るとエールを送らずにはいられない。物を作る者として、物を作るための道具を愚直に作り続ける人たちを応援していきたい。
1000円にも満たないほんの細やかな設備投資だけれども。

100% Gear of Life 004 NT Cutter Professional A

100% Gear of Life 003 Backpacking Light Titanium Esbit Wing Stove

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100% Gear of Life
003 Backpacking Light Titanium Esbit Wing Stove

「足るを知る。」
ウルトラライトハイキングにおける重要なキーワードだ。
その教えに沿うのであれば、本来、固形燃料用のストーブなどというものは、アルミの板を適当にカットし、折り曲げたもので事足りる。しかし、その一方、野外生活において火をおこすという行為は、一つの儀式である。

儀式には、美しい道具と美しい所作が必要不可欠だ。幕営地に着き、幕を張り、寝床を準備する。荷物を整理し、一枚上着を羽織る。一連の作業が済み、大き目のマグカップにまとめて収納した湯沸かしセットを取り出す。とにかく、一刻も早く、冷えた体に熱いコーヒーを流し込みたい。

しかし、焦りは禁物だ。三本の脚を120度づつ均等に広げ、平らな地面を探してセットし、ゆっくりと丁寧に固形燃料に火をつけ、その上にマグカップを静かに、そして確実に乗せる。
その一連の行為は、ある意味、山の神、火の神に対する礼儀ともいえる。

そんな振る舞いを自然と起こさせてくれるギアが存在する。

100% Gear of Life 003 Backpacking Light Titanium Esbit Wing Stove

100% Gear of Life [002]新井真之さんの白いフリーカップ

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100% Gear of Life
002 新井真之さんの白いフリーカップ

器というものに無頓着な人生だった。
もっとも、アルミやチタンといった素材や重さ、スタッキングに対する狂的な探求心は除くけ
れど。。。

ある日、友人が稲村ケ崎で小さな器屋さんを開業し、同時にウェブショップを開設した。「器ねぇ。。。」なんて思いながら、そのサイトを見ている僕の目に一つのシンプルな白いカップが目に入った。

ウルトラライトハイキングというのは、北米のロングトレイルをスルーハイクするための実践的な方法論として生れた物であるけれど、さらに一歩進んで、それを一つの思想、哲学としてとらえた時に、僕はこの白いカップに大きな親和性を感じた。手もとに届いたそのカップは、想像以上に肉薄で、口当たりが良く、酒飲みの僕にとっては絶妙の大きさでもあった。今では焼酎のオンザロックはもちろん、お茶を飲むときもこのカップを使っている。

物の価値というものを改めて考えてみる。
当然、値段というのは一つの価値基準として存在するけれど、僕が一番大事にしたいのは、その物に対するストーリーだ。言い換えれば、その物に対して自分がどれだけ語れるかということ。なにも難しい話ではない。
例えば、僕の家を訪れた友人にこのカップでお茶を出す。
「このカップいいね。」
なんて言葉を引き出せたらしめたもの。
「これはね、新井真之さんという作家さんの作品で、山友達のMさんが稲村ケ崎でやってるお店で買ったんだ。焼酎のロックなんかにもいいし、蕎麦猪口なんかとしても使えるよ。それに、意外と安いんだ。」
と答える。実際、陶器に関して僕が語れることなんて何もない。それでもそこには、ささやかながらも僕と器の小さなストーリーが存在している。

「みんな3千円のTシャツは何枚も買うのに、3千円の食器は買ってくれないんだよね~。
食器に3千円を出してくれる人を増やしたいんだ。」
その友人が穏やかに僕に語った言葉が今でも甦ってくる。今日もまた、あの稲村ケ崎の小さなお店から、器をめぐる小さなストーリーが生まれているに違いない。

100% Gear of Life [002]新井真之さんの白いフリーカップ

100% Gear of Life [001]patagonia Houdini Jacket

001

100% Gear of Life
001 patagonia Houdini Jacket

ウインドシャツ、ウインドジャケットと呼ばれるウェアは、各社、各ブランドからたくさん発売されているけれど、やはり僕はこの「patagonia Houdini Jacket」が好きだ。
生地の性能、重量、着心地などを考えれば、今はより良いジャケットが存在するのは確かである。

だが、何かが違う。

実は、僕が長年着ているこの青いフーディニージャケットは、右袖が一部破れてしまっているが修理もせずに(パタゴニアのリペア対応の良さは有名だし、それ以前に、僕はこう見えて結構ミシンが得意だ)、そのまま気にせず着ている。
デニムパンツやネルシャツなど、ダメージが味となるウェアは存在する。だが、それらの多くは、天然素材による生地の物で、経年変化を楽しめるウェアに限られる。
しかし、その例外の一つと言えるのが、この「pataginia Houdini Jacket」だと僕は思っている。
思い返してみれば、かつてのアウトドアウェアやアウトドアギアには、それがたとえ化学繊維の物であっても、劣化が味となるものが数多く存在したように思う。ウェアやその素材となる生地が、より高性能になり、軽量化が進み、何より天然素材より安価になってしまった大量生産、大量消費の世界で、化学繊維でその味を楽しめるものは少なくなってしまった。
ウェアに限らず、経年変化や劣化や故障といったものは、よく言えばそのギアと自分との歴史に他ならない。新しいものに買い替えることは簡単(懐具合は別にして)だけれども、物をリセットしてしまえば、その歴史も一緒にリセットしてしまうことになる。
どうしても無理な場合は確かに存在するけれども、僕はその歴史を出来るだけ長く刻み楽しみたいと思う。

まだシャツ一枚では肌寒い季節に、あるいはレインウェアを着こむほどではない霧雨の中、息を切らしてハイクアップした頂上に立ち、右袖の破れ方がいかしてるウインドシャツで気取って写真を撮りたい。フーディニと僕との新たな歴史の1ページを記念して。

100% Gear of Life [001]patagonia Houdini Jacket