100について

FullSizeRender (19)

100という数字にはなんだか不思議な魔力のようなものを感じる。

ウルトラマラソンランナーにとって、100キロ完走というのはまず初めのハードルだし、多くのトレイルランナーは100マイルレースは憧れの一つだ。

視点を変えると、例えば、10万円を貰って一晩で使い切れ!と言われたら、普通に使うことが出来るし、逆に1000万円と言われると、「いやいや、そんな大金何に使っていいのか分かりませんよー。」となる。では、100万円ではどうだろうか?これは少し考え込んでしまう。確かに大金ではあるけれど、あれやあれを買って、あんな店に行って、あの高級ホテルに泊まってなんて、多少は方向性が見えてこなくもない(もちろん現実的にそんな大豪遊はしたことないし、今後もないだろうけど)。

また、ベストヒット100だったり、クイズ100人に聞きました(ちょっと古いかな)とか、全国に100円均一ショップがあったり、多くのテストは100点が満点だったり、そして日本百名山など。とにかく僕たちの生活には100という数字がよく登場してくる。

100というのは、単位はどうあれ何か親近感とでもいうべきものと、憧れともいうべきものが同居する不思議な数字だ。

仏教の世界には、「三衣一鉢」とか、「十三物」、「十六物」といった言葉がある。これらは、簡単に言えば、僧侶が個人で所有することを許される物の数だ。

もちろん、僕たちは、4個や13個や16個の物だけで生活することは不可能だ(例外はあるかもしれないけれど)。当然、100個の物だけでも難しいだろう。誰もが今いる部屋の中を見回してみただけでも100個以上の物が溢れているに違いない。

しかし、それをアイテム別に実践してみることは意外と可能かもしれない。例えば洋服は100アイテム以下にする。本は100冊以下。レコードもしかり。家族の数で状況は変わってくるだろうけども、調理器具や食器だけで100アイテム以下。そして、ハイキングなどのアウトドア道具を100アイテム以下にする。

お金の話に戻るわけではないけれど、僕たちにとって10個というのはなかなか寂しさの残る数である。僧侶の持ち物より少ない数なのだから。一方、1000個と言われるとかなりの余裕を感じてしまう。言い換えれば、もはやそれは自分が把握できる数ではなくなってしまっているという事だ。

もちろん、これは物だけに限定される話ではない。今年体験してみたい100の事とか、死ぬまでに訪れたい場所100か所とか、フルマラソン完走100回とか。

そんな目標設定にも絶妙な数字が100という数字だ。そう簡単には達成できないけれど、頑張ればやれないこともないと思わせてくれる魔法の数字。

そんな100という、親近感と憧れの同居する数字にこだわって物事を考え、生活してみることはとても楽しい行為かもしれない。もっともその100にこだわりすぎてしまうと本末転倒という結果を招きかねないのでそこはほどほどにね。

広告
100について

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中