本と本棚について

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工房を自宅に移したことをきっかけに、部屋の改装や物の整理をゆっくりと並行して進めている。簡単に言えば断捨離ってやつだけれども、僕は単純に物を減らせばいいとは思っていない。やはり、そこにはテーマなり、ストーリーなり何かしらの意味づけが必要だ。

数あるモノの中で、特にその扱いが厄介なのが本だ。読書は好きだけれども、本というのは基本的に1度読んでしまうとそれで終わりである。2回3回と繰り返し読む本は確かに存在するけれど、やはりその数は限られてくる。当然、理論的には断捨離候補の筆頭に上がってくる。だが、本当にそれでいいのか?

本というものは、大げさに言えば人生そのものだ。本と出会い、感銘を受け自分の人生を見直し、また変わった自分が新しい本への出会いを欲する。本とは師であり友でありモチベーションの源泉である。と僕は思う。

そこで僕は考えた。もちろん、全ての本を所有し続けることは不可能だし、ある意味、無意味である(こう言っては悪いが、世の中にはクソ本も確かに存在する)。それでも、自分が何かしらの影響を受けた本は仮にそれが二度と読まない本であっても手もとに留めておきたい。

僕は本の計測から始めた。ついでに、この際だから言ってしまうけれど、一般的に市販されている本棚の多くはクソである。自分で作るしかない。本の縦と横の長さを測り、そのライブラリーに最も適した本棚の図面を描いた。その過程で材料となる材木を見に近所のホームセンターにも何度となく通った。限られた材料、限られた予算の中で文庫本からハードカバーまできれいに収まる本棚を考えるのは本当に困難であり同時に楽しい作業であった。高さ120cm、巾64cm、4段。おかげで、かなり納得のいくものが出来たと思う。あと2個は作らないといけないけれど。。。

改めてその本棚に本を並べてみると新たな発見があった。本というものは自分史における栞のようなものである。また、同時に自らを構成するパーツのようでもある。

僕はそれに気づいてウイスキーを飲みながら(やはり本にはビールよりウイスキーが似合う)、「本並べごっこ」を一人で3時間ほど行ってしまった。

読んだ順番に並べれば、それは自分の歴史、年表になる。作家ごとに並べれば好みの(大げさに言えば好きな女性像まで)形が見えてくる。物理的なサイズで並べてみるのも面白い。バラバラな作家とジャンルから新しい思考の道が見えてくる。土井善晴、村上春樹、レヴィストロース、加藤則芳、ヘンリーDソロー、ジャックケルアック、落合陽一が並ぶことに何ら違和感を感じない。と思ったけれど、やはり偏りも見えてくる。しかし、それは数学的に考えれば、嫌いなものを顕在化することと同義である。そんなことに気付くのも結城浩氏の「数学ガール」が隅の方にあったからであり、自分が気持ちのいい形に本を並べたからに他ならない。

改めて思う。デジタル化した活字はもちろん軽いし保存も楽だし便利であることも否定しないけれど、やはりフィジカルに存在するもの(そもそも僕らの肉体がそれだ)の価値というものをないがしろにしてはいけない。それを再確認するためにも本というものは素晴らしいアイテムだ。そんなことを再確認した。ぜひ本を大事にしてもらいたい。そしてその本を並べる本棚も今一度考えてもらいたい。そんな気持ちでこの文をしたためた。

改めて言うが、この世で一般に市販されている本棚のほとんどはクソである。

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